聖書 基本 知識
学習 4:人間と死
人間の本性 | 霊魂 | 人間の霊 | 死の状態 | 復活 | 審判 | 補償の所、天か地か? | 神に対する責任 | 地獄 | 間違った解釈(煉獄, 幽霊と霊魂来臨説, 復活される体質, 空中で主に出会う'携擧')| 問題と解答

間違った解釈13:復活される体質

私たちは永遠の命と神の本性に変える体質はその裁きで忠誠な者たちに与えると示しました。キリストがこの世に帰ってすることは始めにその責任ある人たちを復活させることであって、その後は彼らを集めて裁くのです。その不滅の命は裁きの後に与えるから、彼らは以前と同じく死ぬべき体で復活するのです。もし彼らが不死の命を持つ体で復活するなら彼らを裁く必要がないでしょう。

私たちはその裁きを受けた後ただちに神の国に入ります(マタ.25:34)。従って忠誠的信者でもその裁きがある迄は神の国に入ることが出来ません。"肉と血とは神の国を継ぐことが出来ないのです。... またたく間に、一瞬に変えられる。... なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちない者を着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである"(コリ前.15:50、51、53)。死ぬべきものから死なないものにならなければ神の国に入れないから、その本性の変りは裁きの座において起こるのです。

しかし、霊感されていた使徒パウロは度々裁きの後永遠の命を受ける義人の復活、"命の復活"をただ"復活"と話しています。勿論彼は、"正しい者も正しくない者も、よみがえるのを"(使.24:15)知っていました。彼は責任ある者が"裁きを受けるために蘇り、善を行った人々は、生命のを受け、悪を行った人々は呪いを受ける"(ヨハ.5:29)ことを充分認識していたでしょう。

パウロは"復活"に関して話す時、"命の復活"と積極的方法で話していたと思います。義人たちは"生命の復活"を得るために彼らの墓から出て来ると、彼は地から出て来て裁きを受け永遠の生命を得ると話しています。これは"生命の復活"の全過程を話しているのです。彼らが墓から出る復活と"生命の復活"とは違うのです。パウロは、彼がクリスチャンの生活をしているのは"なんとかしても死人のうちからの復活に達したい"(ピリ.3:11)のであると話しました。彼は責任があるから復活して裁きを受けるのです。従って彼が何とかしてもと復活したいと話しているその"復活"は"生命の復活"に違いないのです。

その"復活"が"生命の復活"(ルカ.14:14)を意味している他の例はルカ.20:35; ヨハ.11:24; コリ前.15:21、42; ヘブ.11:35; 啓.20:6に含まれています。詩.17:15でダビテは"彼が"起こされた瞬間補償を受けることを話しています。彼は裁きがあるとこを知っていたけれども、パウロと同じ復活観を持っていました。パウロがコリ前.15章で使用した"復活"は、コリ前.15:52で"死人が朽ちない者によみがえらせる"と言うのを説明しているのです。その句節で"死人"と言う言葉は義人を話しているのに注目しなければなりません。彼らは裁きで永遠の生命を受けるために復活するでしょう。コリ前.15:13、21、35、45; テサ前.4:16; ピリ.3:11; 啓.14:13; 20:5、6。

テサ前.4:16、17はキリストの帰りに連合して起こるべき事件を列挙しています。

1. キリストは私たちが見られるように来られる

2. キリストにあって死んだ者が起き上がる

3. その時生きている信者たちは裁きの座に奪い行く

その永遠の生命を与えるのはその裁きのために集まった後にあるのです(マタ.25:31ー34; 13:41ー43)。従ってこの集まりがあることを考えて見ると、 不死の体は復活と同時に与えるのではありません。私たちはすべての義人が同時に補償されることを示しました(マタ.25:34; ヘブ.11:39ー40)。復活した者が生きていた信者たちと共に集まるのを考えて見ると、不死の体が復活と同時に与えると言うことは不可能でしょう。

しかし、私たちは、時間の概念が極人間的であることに留意すべきです。神はその時間概念に限定される方でないから、キリストの帰りの時期に起こる事件らの特定な順序を割り出すことが出来るのです。裁きの座で復活した者が不死の体に変えるのは"またたき間に、一瞬に"起こると描写しています(コリ前.15:51、52)。必然的に、キリストの帰りにの瞬間には、少なくとも裁きを受ける彼らのためには時間が違う次元で進行するでしょう。その裁きに責任がある人たち各々が裁きの座で彼らがこの世で生きた生活を告げ、ある程度彼らの審判官である主イエスと討論するというのが一般的聖書の原則です(マタ.25:44; 伝.3:17; 12:14; ルカ.12:2、3; 19:23; エゼ.18:21、22; テモ前.5:24、25; ロマ.14:11、12)。その責任を持つ人の数がおびただしいので、彼らをいちいち短い瞬間に審査するには、時間の流れが休止あるいは圧縮されると思います。この段階において時間が圧縮されると考えて見ると、復活と裁きの全過程が"またたきの間に、一瞬間"に起こるので、復活を度々義人に永遠な生命を与える意味として話したのが理解出来るのです。しかし、これは私たちが墓からその裁きの座まで移転する時の速度のためであって、その後は神の恵みによって私たちは不死の状態でゆっくり住むようになるのです。このために、テサ前.4:16、17は義人たちをラッパが鳴り響くうちに裁きに連れて去ると話し、コリ前.15:52でも同じくそのラッパが彼らに与える永遠の命の補償と連合して話しています。これはまたパウロが復活が裁きで神に受け入れられるのと一致すると考えているのを説明しています(ピリ.1:23)。


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